素敵だぞ日記(今年一番嬉しかったこと、セバスチャンの初恋)
2009年 12月 31日
♪今日ふと、思いました。
いろんなことがあった2009年だけど、何が一番嬉しかったかなって…
すぐに思いだしました。私の中でベスト1の出来事を。
それは驚くほど些細な出来事でした。
表面的にはたいしたことが起きたわけではありません。
でも、今まで生きていた中でも、きっと一番と言っていいほど心が震えた出来事です。
嬉しい時は、心が震えるものだと思いますが、
私にとってその瞬間の感覚は、
「心のふるえ」の振動数が今までに感じたことがないほど細かかった気がします。
そして、心の「表面の部分」ではなく、もっと奥の奥の方…
心の一番芯の部分が、震えた気がしました。
今思い出しても、同じ感覚を味わうことができます。
たぶん、500年後でも、この嬉しさを覚えていられるだろうと思います。
あの嬉しさを感じることができただけでも、生まれてきた意味があったような気がします。
なのに、今日気づきました。
その出来事を体験していた瞬間の私は、その瞬間がとても貴重なものであることを全く理解していなかったなって…。
それどころか、ついさっきまで、ほとんど思いだすこともなかったのです。
でもきっと、その時に感じた感覚の記憶は、私の身体の深い深い部分に埋め込まれて、
その後の私の生き方すべてに影響を与えていました。
私は全く自覚していなかったけれども…
ある方が私にくださった、素敵な言葉を思い出しました。
「本物の光は、これ見よがしではなく
まるで無いかのように、精妙で静かに周りを灯し、
なのに深く浸透力のあるものです」
2009年の私は「本物の光」に出逢えたのかもしれません。
本当に素晴らしい年でした。
♪皆さま、こんばんは。セバスチャンでございます。
数日前、をはませ様からリクエストをいただきました。『セバスチャンの若い頃の話を聞いてみたいです』って…。
ふとお話させていただく気になりました。
良かったらお聞きくださいませ。
あれは私が本当に若い頃…私がまだ7つか8つの頃…
隣に、ある一家が引っ越してきたことがあったのです。
その一家には私と同い年の女の子がおりました。
前にもお話させていただいたように、私は街でも評判の美少年でしたから、女の子にはすごく人気がありました。
女の子はみんな、私に色目をつかい、ちやほやしてくれたのです。
私はそのことにすっかり慣れきっておりました。
でも隣の女の子は違いました。
初対面の私にいきなりこう言ったのです。
「セバスチャン、私、オマール海老が食べたいの。今すぐ川へ入って取ってきてちょうだい」
そんな無茶な要求ってありますか?オマール海老ですよ。
なのに、私は気づくと、手に網を持って駆け出しておりました。
数時間、川の水に膝まで浸かって格闘しましたが、もちろんオマール海老なんかおりませんでした。
仕方なく私はザリガニを取って帰りました。
「ちゃんと君のために努力したよ」ということを示したかったのだと思います。
「何よこれ!ザリガニじゃない!」
と彼女に怒られることを覚悟していた私でしたが
意外なことに彼女は
「わあ!なんて美味しそうなオマール海老なの!」
と喜んでくれました。
そしてそのザリガニを料理係に料理させてしまったのです。
彼女は、そのザリガニを実に美味しそうに食べました。
私も仕方なく食べました。
意外と美味しかったですが、やはり後で二人ともお腹が痛くなってしまいました。
でもそのことをきっかけに、私と彼女は仲良くなりました。
彼女は私に無茶なことばかり言いました。
私はいつも彼女のために走り回っておりました。
要求を叶えることができると、彼女は大げさに喜んでくれました。
叶えることができないと、父親にもらったという日本製の団扇で、私の頭をバシバシ叩きました。
彼女に喜んでもらえるのももちろん嬉しかったですが、
団扇で叩かれるのも、なぜかそれ以上に嬉しかったような気がします。
そんなことが数カ月続いたある日…
いつものように隣の家に遊びに行くと、隣の家はなぜかもぬけの空になっておりました。
そのまま夜まで待っていても誰も帰ってきませんでした。
私には何が起きたのか全くわかりませんでした。
彼女の父親が事業で失敗し、借金取りから逃げたのだろうと、後で近所の大人が言っておりました。
私は彼女がいなくなったことにもちろん悲しみはしましたが、
その悲しみは長くは続かなかった気がします。
少年時代の私には、他にたくさん興味がひかれることがあったからです。
もちろん、ちやほやしてくれる女の子にも他に沢山いましたし…
でも、私はたぶん、その時に彼女と別れなければならなかった喪失感を、ずっと抱え込んだままだったんだろうと思います。
自分でも自覚できないぐらい、身体の深いところに刻まれた悲しみを、どうしても癒すことができなかったんだと思います。
大人になった私は、結局誰とも結婚しませんでした。
ずっと独り身のまま、中年と呼ばれる年になってから、ふらりと日本を訪れ、そのままなぜか住みついてしまいました。
そして、ある不思議なご縁で、お嬢様のお世話をすることになったのです。
今になって思います。
小さい頃、彼女に団扇で叩かれた思い出が、私をはるばる日本にまで導いてくれたんだって。
そして、あの時彼女と別れた深い悲しみが、私をお嬢様のところまで導いてくれたんだなって。
何十年も後に、私が間違いなくお嬢様と出会えるように、隣の家の彼女は、あの時突然姿を消してくれたんだな、とさえ思えるほどです。
今、私はワガママなお嬢様に無理難題を押し付けられるたび、幸せな気持ちになってしまいます。
私の中に残されたままだった悲しみが、お嬢様のワガママによって少しずつ、少しずつ癒されているのでしょう。
そして、本物のオマール海老をお嬢様が食べているのを見ると、
別に私が川で取ってきたわけではないのに
「どうだい!すごいだろ!」
と誇らしくてたまらなくなるのでございます。
(ダンボ注: この絵はルノワールの「団扇を持つ少女」です)
by dumbo-kakeru
| 2009-12-31 01:10