舞台と物語に恋しているダンボの日記です。皆様に楽しいこと、幸せなこと、笑えることがたくさん降り注ぎますように!


by dumbo-kakeru
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<   2008年 12月 ( 10 )   > この月の画像一覧

昨日は、秋に出演させていただいた音楽劇、「嗚呼、私の探偵は!」の皆さんとの忘年会でした。
お忙しい方ばかりだからあまり集まりが良くないかな?と思っていたのですが、20人以上も来てくださり、大好きな方々と久しぶりにお喋りできて嬉しかったです!
幹事をやってくれたじま、けんけん、本当にありがとう!

2次会の様子です。
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この、少しあやしくカッコイイ画像を下さった白井宏幸さん、ありがとうございます!
白井さんの「舞台が大好きなんです!」という言葉は、すごく真っ直ぐに心に響きました。

魅力いっぱいで、そして舞台の世界でたくましく生きていらっしゃる役者さんたちだから、どんなお話も心に残ったのですが、とくに私の心に(良い意味で)突き刺さった言葉があります。

私は自分の劇団以外で活動したことがあまりなかったので、今回、関西の演劇界で活躍している沢山の方々と出会えて本当に良かったです、というような発言をした時、
「これでいいものが書けそう?」
と聞かれたんです。

でも今の私は、書くことに対して少し弱気だったので、
「それはわからない…」
と答えてしまったんですね。そしたらある方が

「これでいいものが書けなかったら、じゃあ僕たちは何やってたんだ、って感じですよ」
っておっしゃったんです。
ほんまや!!と思いました。

これからの私がいいものが書けなかったら、せっかくご縁をいただいた皆さんからもらったパワーを無駄にしてしまったことになります。
それだけはイヤです。
皆さんに恩返しがしたいです。

もちろん音楽劇の皆さんだけではなく、2008年は本当に多くの方々と出会い、助けていただいた一年でした。
2008年より以前もきっとそうだったと思うのですが、今年の後半はブログを始めたので、より多くの出来事が記憶に残っています。

それらの出来事を通して、私は今までどうしてもわからなかった「問題の答え」がわかり、
いくつかの「希望」を見つけることができました。

「希望」を見つけたときは、「これで人生バラ色だ!」と思い、「後の人生は光しかない!」と思ったのですが、素直じゃない私は、いつまでもバラ色でいられないようです。

自分と違う考えの方や、納得いかない出来事に出会うと、
それを味わって消化するのに、いちいち時間がかかりました。

でも、そのやり方しか出来ないし、そのやり方が自分にとって自然なのであれば、
来年からもそのやり方で進めばいい、と思いはじめました。

どんな事でも、身体の中できちんと消化して、また「希望」に変えたい、そんなことを思っています。

出会う→戸惑う→味わう→消化→希望

このプロセスが、「書く」ことであり、私に与えられた、そして私が守りたい、「贅沢な時間」です。
このプロセスを通し、来年は1回でも多く、皆さんに恩返しをすることが出来ればいいな、と思います。

2008年、ありがとうございました。
お世話になった皆様、ブログを読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。

2009年が希望に満ちた年になりますように!
魂が震える喜びが、たくさんたくさん、皆様に訪れますように!

心から祈っています。
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by dumbo-kakeru | 2008-12-31 17:56 | つれづれ
私は今年の夏、とっても好きになった方がいました。
残念ながら、その方とは恋愛関係になることはないだろうと思うのですが、
私にとってすごくご縁のある方のようで、今でもやはり特別な想いを持っています。

今朝、久しぶりにその方が夢に出てきてくれました。

思いがけないようなタイミングで、私に電話をかけてきてくれて、いっぱい話をきいてくれて、
「ダンボさん、リラックス!リラックス!」と言ってくれました。

最近、リラックスを忘れていた私は、その言葉でとても救われ、心があたたかくなりました。

夢の中で私は
「想い続けると願いは叶うもんだなあ~♡」
なんて思いました。

ところが夢の中で、私はどうやら調子にのったようなのです。

「リラックス、リラックス」と言われたところまでは、私が自然に見た夢だったようなのですが、
そこから私は夢を「操作」しようとした気がするのです。

夢の中で、その方と恋人になる展開を無理やり「作り出そう」としたのですが、
やっぱりうまくいかず、すべてがギクシャクと色あせて目が覚めました。

…目が覚めてから私は、「人生もこれと同じだなあ」と思いました。

思いがけない「よろこび」を感じる瞬間があって、そんな時はとても嬉しくなるけれど、
またその瞬間が欲しくて、自我で人生をコントロールしようとすると、たいがい上手くいきません。

「無欲で頑張っている人」には、神様はプレゼントをくださるけれど、
「くれ~!くれ~!」と要求されると、神様もイヤになってしまうのかもしれません。

要求しなくても、神様はいつも、いちばんいいプレゼントを私たちにくださっているのだから、
「なにかを願うこと」はすべて間違っているのかもしれないな、なんて思いました。

でも…それでも願ってしまいますよね?
不幸よりは幸せが欲しいし、失敗よりは成功が欲しい。
それも、できるだけ早く!

私は、「書きたいものがクリアに見えて、いつもよろこびいっぱいで書ける」人生が欲しいです。

意識的にも、無意識的にも、そういう人生を願ってしまうと思うし、
これからもそういう人生に「ラブレター」を送り続けると思います。

でも、たとえその「ラブレター」が届かなくても、返事がこなくても
「あ~上手くいかなかったね!ま、いっか(*^_^*)」

と「笑える」ぐらい、リラックスしていることが大事なのかな、と思いました。
うん。「笑えるラブレター」、いいタイトルだ!(自画自賛)

これからも「必死なラブレター」じゃなくて、「笑えるラブレター」を送り続けたいな、と思いました。

そうしたら、思いがけないタイミングで
神様から電話がかかってくることがあるかもしれませんから!
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by dumbo-kakeru | 2008-12-30 16:26 | つれづれ

一日一生

おはようございます。
また、月曜ですね!
今日もお仕事をされている皆様、お疲れさまです。

昨夜、一年前に書いた「言葉のクロッキー」を載せたのですが、
今朝見るとあまり気に入りません。
私は一年前も今も、あまり変わってないと思っていたのですが、
やはりなにかがしっくりこないということは、この一年で私は変わっているのかもしれません。
今朝見ると、なんだか後ろ向きで、重くて、消したいぐらいでした。
でも、そのままにしておきます。

変わったと思えたり、いやちっとも変わってないと思ったり、
人を受け入れることができたり、人を裁いてしまったり、
ありのままの自分を好きでいられる時があったり、こんな自分は嫌いだ、と思ったり。
いろんな時がありますね。

いろいろあるからこそ、人生は面白いんですよね。
単純じゃなく、複雑で面白い。

その「いろいろ」を、これからも文章を書くことにぶつけたいです。
そして、もちろん、このブログにも正直にぶつけたいです。

ぶつけて考えて、消化して、時には忘れて、でもきっと身体には刻み込んで、前に進みます。

そういえば、「はるさん」と呼んでいる素敵な人が、こんな言葉を教えてくれました。
「一日一生」

一日を一生だと思って生きろ、ということだそうです。
どんなことがあっても、次の日になればまた新しい日がはじまります。

私は今、この言葉を
「どんな時でも、新しくなにかをはじめる自由が与えられている」
と受け取りたいと思います。

というわけで、今日は一番最近に撮った写真を載せます。

「今年もありがとうございました。2009年もよろしくお願いいたします!」
ダンボ、駈(かける)
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綺麗だな、と思った飛行機雲です。
この川は京都の鴨川です。
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この空も、今は新しい空になっているはずです。
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by dumbo-kakeru | 2008-12-29 09:31 | つれづれ
年末ですね。
いろいろやることが多くて、バタバタと忙しい気分になってしまいます。

「書く」ことに対する思いはどんどん熱くなっているつもりなのに、「書くこと」に腰を据えて取り組めず、イライラします。
せめて年が変わる前に、自分の決意をブログに書いておきたいと思っていたのですが、その文章もなかなかまとめられずにいました。

そんななか、ほぼ一年前に書いた自分の文章を見つけました。

尊敬している村松恒平さんというライターの方が提唱されている、「言葉のクロッキー」という文章の訓練方法、それを私は4回だけやっていたのです。

誰に見せるわけでもなく書いた文章で、すっかり書いたことを忘れていたのですが、あらためて読んでみるとなんだか面白くて、自分自身がその文章に慰められました。

読んでいただくことを意識して書いていないので恥ずかしいのですが、だからこそ正直に書いているような気がします。

一年前も今も、私の根本は全く変わっていませんでした。
今の私の「決意」の代わりに、コピーさせていただきます。
まずは、自分の「死ぬ瞬間」を想像して書いた文章です。

「死ぬ瞬間」

私は死んでいこうとしている。
この光景は、想像していたものとは違う。家族に見守られながら死ぬのかと思っていたが、なぜか私はたった一人で、仕事場のベッドに横たわっている。
見慣れた風景。本やパソコン。大好きな人たちの写真。毎日見ていたものたちが、私を見守ってくれている。

幸せだった。とても幸せだった。
自分の魂をいっぱいに輝かせて楽しむことに挑戦した人生だった。
この短い日々の中で、私は何回、人を笑顔にすることができただろうか?
きっと誰かが、その数をカウントしていて、もうすぐ教えてくれるのだろう。

数日後、私の体は焼かれる。その炎の勢い、最後の輝きを見るのが楽しみだ。
骨になった私は、次の命の中に溶け込むことができるだろうか?
私が残した言葉は、誰かの心の栄養になることができるだろうか?

遠くの空き地に、花が咲くのが見えた。



…こうやって死ねたら理想だな、と本当に思います。
その日が訪れるのは、あと100年ぐらい先でいいですけれど(笑)

次の文章は、「悲しみ」という課題です。
2001年に私の父が亡くなった時のことを思い出して書きました。

「悲しみ」

父が死んだ。もう会えなくて悲しい。

だがそれよりも、父が死んだという人生の一大事に直面してもなお、悲しみに浸りきることのできない自分を発見したことが哀しかった。
物語を紡ぐことを職業にしている私にとって、フィクションこそが真実で、私生活は偽りだと気づいてしまったことに愕然としたのだ。

心に穴が空き、針先でふと突かれただけで涙が溢れ出す別離の悲しみがある。
そして、その悲しみをどこか他人事としてとらえている自分の人生に対する哀しみがある。

この二つの悲しみ(哀しみ)の総量は一体どれほどの重さになるのだろう。
それは、起こった不幸を全身で感じきることのできる幸せな人が感じる悲しみよりも、多いのか少ないのか。

体に感じる痛みを量りかねているうちに彼は骨になった。
彼が人生で感じたすべての悲しみは、いま煙となって消えたのだ、と思った。



…父が亡くなった時、ほとんど泣かずこんなことを考えていた私は、少し変わっているのかもしれません。
今でも、みんなが楽しんでいるときに冷めていたり、感動すべきときに、冷静にその状況を観察している自分に気づくことがあります。

そんな時は孤独で哀しい気分になって、「みんなと同じように感じているふりをしようかな?」と思うのですが、やっぱり自分に嘘をつくことができないのです。

自分自身に正直になることで、いろんな方にご迷惑をかけることがあるかもしれません。
自分でも時々、「しんどいな」と思うけれど、
やっぱり「物書き」でいたいから、自分の感性にすごく正直でいたいです。

こういう「妙に冷静」な自分は、来年もまだ捨てられないと思います。
私とご縁のある皆様、ごめんなさい。

でも、それと同時に2009年は、「全身で何かを感じきる幸せな瞬間」も、いっぱい訪れたらいいな、と願っているのです(^_^)

2009年、私は少し、変わることができますように。
誰かを笑顔にすることができますように。
私の言葉が、誰かの心の栄養となることができますように!
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by dumbo-kakeru | 2008-12-28 23:41 | 言葉のクロッキー
皆さん、素敵なクリスマスを過ごしていらっしゃいますか?

私は昨日のイブは、ケーキ食べて、ケーキ食べて、ケーキ食べて(結局三きれ食べました)
幸せな夜を過ごしました☆
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結局恋人はできなかったし、ここ数週間、劇団の会報づくりがものすごく大変で、
身体はクタクタに疲れていたのですが、とても心安らかに過ごすことができました。

最近続いていたひきもこりモード。
望月マリアちゃんのディナーショー
そしてQさんの大阪セミナーを通し、私には、とても大切なことがわかった気がするのです。

(↑リンクさせていただきましたが、「望月マリアちゃんのディナーショー」についてのQさんのレポートがとくに素敵です。ぜひ読んでくださいね♪)


どんな時も、どんな人でも、「愛と感謝」を忘れなければ、必ずうまくいく。
もし「愛と感謝」を選べない状態だというなら、それはその人の心のあり方が間違っている。
これらのことが、やっと腑に落ちました。
(頭ではとっくにわかっていたのですが…)

もう、ひきもこって、わざわざ苦しむ方を選ばなくていいみたいです。
苦しまなくても、文章は書けるみたいです。

そして、どういう表現が人の心を打つのかということも、なんとなくわかってきました。

私はまだ、目を見張るような結果を出せているわけではありませんが、
きっと、近い将来、私は皆さんに喜んでいただけるものを書くことができると思います。

そういう確かな予感がしました。
なので、皆さん、もうちょっと待ってください。(^_^)

最近発見したいくつかのことは、そのうち詳しくブログにも書きたいと思っています。

未来が楽しいものになると思えること。
それが一番幸せで、ありがたいことです。

だから一人でいても
いや、一人でいて、自分の心の声に耳を澄ませていられたからこそ、
じみじみと幸せを感じたクリスマスなのでした♪
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by dumbo-kakeru | 2008-12-25 19:21 | つれづれ
うちの劇団の女優であり歌手である望月マリアの初ディナーショーでした。

私はこのショーの企画をしているキラキラファミリーのみんなのこともよく知っているので、いろんな想いを持ちながら時間をすごしました。

とにかく、いろんな意味ですごいショーでした!
手作りのあたたかさいっぱいでありながら洗練されていて、きっと他ではあまり見られない感じの会だったと思います。

たとえていえば、陣内くんと紀香さんの結婚式のようでした。
(これは最大級の誉め言葉なのです)

マリアちゃんのことは、私は10年ぐらい前から知ってます。
もともと「歌が上手い」のも「できる子」なのも知ってるから、
最近ブレイクしていくマリアちゃんを見ながら、正直、

「いや、うまいのは前から知ってるし」
と妙に冷静に見ていたところがありました。

でも、今日のショーは本当に良かったです。
とくに、アンコールの「父さん母さんありがとう」の歌は、なにかが違いました。

演じるのではなく、生身の彼女が、心をこめて歌った歌。
歌の上手さよりも、気持ちが勝った感じの歌でした。

10年間マリアちゃんを見てきて、私は今日のようなマリアちゃんを一度でいいから見てみたかったのだと思いました。

あの歌が聞けて、本当に満足です。
マリアちゃんはこれからますますブレイクするでしょう。
皆さんからだいぶ遅れて、納得。そして確信。

マリアちゃん、あなたの明るさと純粋さが、これから、多くの人たちの光になるでしょう。
ひとつひとつに想いを込めて進んでください。
おめでとう!!!
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by dumbo-kakeru | 2008-12-20 23:28 | 舞台

ひきもこり

ひきもこりです。
ずっとひきもこりモードです。

はい、ひきこもりではありません。わざと「ひきもこり」と書いてます(笑)
宮藤宮九郎さんのドラマ「ぼくの魔法使い」の中に、ヤクザの親分がひきこもりになってしまうお話がありました。

伊藤英明さんが「ひきこもり」と手にメモしたつもりが「ひきもこり」と書いてしまい、
阿部サダヲさんにからかわれるシーンがあったのです。
「ひきもこりはどいつだぁ!ひきもこってる子供はどいつだぁ!」って…(笑)

上手いなあ…と思いました。
「ひきこもり」という言葉は、聞くだけでネガティブになってしまいそうですが
「ひきもこり」と言ったとたん「もっこり」とかも連想して、笑える感じになるからです。

それ以来、私はたびたび人生におとずれる「ひきこもり」の時期を
「ひきもこり」だと思って過ごすことにしています。
そうやって、「ひきこもり」で勝手に傷付いた自分を慰めようとするのです。

小説を書こうと頑張りだした頃からはじまった「ひきもこり」モードですが
最近パソコンの作業をいっぱい頼まれたことから、ますますひどくなりました。

昨日の夜はパニックになり、わあわあ泣きわめきました。
そしてしばらく泣いた後、アホらしくなってやめました。

もちろん外出もしていますが
こういう時は気分転換も下手くそになってしまうのです。
ブログも書けないし、大好きな和気道でさえあんまりやってません。
見たかった映画も舞台も見れなかった…。
しかも全部自分が悪いのです。

こんなに苦しい思いをするぐらいなら
「書く」のなんてやめてしまおうと毎回思います。
全部投げ出してしまおうと思いつめるのです。

でも今回、また大王に救われました。
私はカニになりたい
なんだ、大王もひきこもりなんだ…

和気道やっても、母親と仲良くなっても、やっぱりおとずれる「ひきもこり」の時期。
これはもう、宿命なのかもしれません。

「ひきもこる人」が必ずいい作家になれるとは限りませんが、
私に本当に必要な苦しさなら、受け入れたいと思ってます。

でも、不必要な苦しさ、手放せるパターンであるような気もするんですよね…。
苦しむことで、私は何かから自分を守っているような気もするんです。
どうすればいいんだろう?

ひきもこらないでいられる日は来るんでしょうか?

苦しんでも楽になっても、どっちでもいいんです。
それで、良いものが書けるのであれば。
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by dumbo-kakeru | 2008-12-19 11:51 | つれづれ

M-1グランプリ!

今年もM-1グランプリ、決勝が近づいてきました。
はっきり言って一年で一番ワクワクする日です。
今年のはじめから、「面白い!」と私が言っていたモンスターエンジンさんが決勝に進出しました!
別に私が見つけたわけでもなんでもないんですが、私の見る目は正しかった!とちょっと興奮しました。
でも、すごく努力家のキングコング西野くんも尊敬しているし、笑い飯さんやNON STYLEさんも大好きだし、もうみなさんに優勝して欲しいです。

お世話になっていて、時々飲みにも行かせていただく舞台監督さんは、吉本の芸人さんとお仕事をする機会が多いそうです。
彼女(女性の舞台監督さんです)は結構辛口なんですが、お笑い芸人さんのことは、いつも心の底から誉めまくっていらっしゃいます。

「あの人たちみたいに究極に試行錯誤して、毎日毎日頑張っている人たちはいない」

「笑いを創る」ことは、それほど厳しく難しいのでしょう。
しかも、M-1で勝ち上がってくる人たちは、自分たちの笑いをすごい精度で高め、完成させている人たちです。

M-1のことを考えるたびに、その裏の芸人さんたちのたくさんの涙を感じて、胸がいっぱいになります。
そして、せっかく同じように生まれてきたんだから、私も「作品創り」に対して、究極に試行錯誤してみよう、と思うのです。
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by dumbo-kakeru | 2008-12-08 21:42 | つれづれ
「自分にとって、嘘のないものは書けないだろうか?」

とにかくそう思い続けているこの頃です。
見た目には、あまり何もしていないように見えると思います。
できるだけ用事を入れず、じっと考えたり、自分の感覚に近いことを書いてくれてる本を読んだり、和気道トレーニングをやったりしているだけだからです。

そんなとき、華やかに活躍している人を見ると、
「私は家でじっとしてて、怠けているだけじゃないだろうか?」と思ってしまうこともあります。
ネガティブな気持ちが沸いてきて、落ち込んでしまいます。
でも、その落ち込みさえも「すべての意識を内に向けて、もっと深く自分を見つめるチャンスなのかもしれない」と思えるようになってきました。

以前なら、ここまで自分に向かい合うと、自分の惨めさに気づいて耐えられず、気が狂いそうになっていました。
でも、今はなんとか耐えられます。
和気道やいろんなものの効果で、身体の中のネガティブな要素が減ってきたからかもしれません。

この試行錯誤の方法が正しいのかどうかわかりません。
ただ、近いうちに何かが見えてくる気がするので、納得するまでやってみたいのです。
「気がする」ほど、あいまいなように見えて、確かなことはないと思います。

自分を中途半端にしか掘らなかったら、一人よがりのものしか出来ないと思うのですが、
「掘って掘って掘りまくったら」やがて何かが溢れてくると思うのです。
その「何か」は、きっと「普遍的なもの」に近いと思うので、
ほかの方々と共有する価値があるのではないかと思います。
早く、そういうものが見えてくればいいな、と思います。

そういえば、先週の月曜日、月と金星と木星が近い位置に見えたときがありました。
夜空が笑っているようで、私はあまりの美しさに感動しまくり、短時間の間にミクシィやメールで大勢の方々に知らせてしまいました。

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上の写真はこの記事から頂いた画像です)

その時の自分のパワーに自分でも驚きました。
本当に感動し、「これは沢山の人と共有しなければ!」と思ったら、考えるより先に、身体が勝手に動いてしまうんだな、と思いました。

今まで、「なりふりかまわず書いた」経験や
「死にものぐるいで自分の関わる公演の宣伝をした」ことがないのは
「心の底から感動したもの」に行き着いていなかったからなのもしれません。
早くそういうものに出逢いたいです。

昨日から、関西はとても寒くなりました。
夜中、身体がこわばって、なんだか悪い夢を見て目が覚めました。

部屋をあたためてからもう一回寝たら、今度はいい夢を見ました。

やっぱり私の身体はすごく敏感になっていて、心はいちいちそれに影響されているんだなと気づきました。

そこで今朝、「もっと身体を使って書こう!」と思い立ちました。
今までパソコンを使って書いていましたが、手で原稿用紙に書いたり、紙にちまちまとメモしたりすることが意外と大切なのではないかな?と思いました。

すごく面倒ですが、同じ言葉をパソコンで打つのと、手で書きとめるのとでは、その「重み」の感覚がかなり違うと思います。
「書く」ことが肉体労働になればなるほど、何かが見えてくるのかもしれません。
よくわかりませんが、ちょっと実験してみます。

この便利な時代に、あえて手書きをしようと思う日がくるとは思いませんでした。
立ち止まれば立ち止まるほど、不器用になります。
不器用になりすぎて、しばらく「恋」をしているヒマもないかもしれません(笑)

そういえば、このところ続いていた、私の「恋をしたい病」が、
なぜだか消えてしまいました。
そういう時期なのかもしれないな、と思います。

一人でいる以上に、一人で過ごすクリスマスになりそうです。
でも、それもこの上なく幸せなことです。

恋なんてしちゃったら感じられなくなるような、微妙な微妙な感覚を
心と身体で楽しみたいと思います。

今しか感じられないことを書きとめられるようになりたいです。
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by dumbo-kakeru | 2008-12-07 16:58 | 物語

「魅力がある人」とは?

私の所属する劇団とご縁のある、ある医療関係の会社の本社に行かせていただきました。
大阪支店の方々が一年間の出来事の発表をお芝居の形でされることになり、私が脚本を担当していたからです。

それにしてもこの会社は本当に面白い会社です。
演劇や映画創りなど、通常の業務とは全く関係ないことに、すごく真剣に取り組まれているからです。
なんでこんなことをやっていらっしゃるんだろう?不思議な会社だなあ…思いながらも、社長も社員さんも素敵な方々ばかりなので、いつもワクワクしながらお手伝いさせていただいているのです。

大阪の発表をお手伝いするのは去年に引き続き、二度目でした。
今回のお芝居は、「抗がん剤治療をする部屋=ケモルーム」のお話でした。

ある病院の院長が100パーセント治癒力のある抗がん剤を開発するのですが、その抗がん剤では一人しか治療できないため、がん患者たちは、自分こそが生きる価値のある人間だと主張しはじめ…それによって、それぞれが「人生でやり残したこと」に気づきケモルームを後にするというお話でした。

社員さんが演じられるわけですから、もちろん役者さんのように演技に慣れていらっしゃるわけではありません。
そのうえ、かなりシリアスなテーマのお話だったので、「上手く伝わるかな?」と少し心配していたのです。

でも、本番のお芝居は本当に良かったです。
生き方を模索する登場人物と、社員さんたちの一生懸命さが重なって、とても感動的でした。
私だけでなく、見てくださった皆さんにもちゃんと伝わったようです。
毎日の業務で培われた社員の皆さんのチームワークはすごいんだな、と思いました。

そして、社員さんたちがあまりに魅力的だったので、
「魅力があることってどういうことだろう?」
と考えてしまいました。

たとえば、最近出逢ったプロの舞台役者さんで、「この方はとびきり素敵だな」と思った役者さんがいました。
その方はもちろん役を演じてはいるのですが、同時にその方は「自分以外の何者かになろうとしていない」ように見えました。

ありのままの自分をさらけだして、そのままでそこに「存在している」
嘘くさくないから、すべての動きや台詞が「まっすぐ」心に響きます。
すごく力が抜けていて、「全くカッコつけていない」ところが、本当にカッコ良かったのです。

でも、今日の社員さんの中にもそのプロの役者さんと同じぐらい魅力的に見える方がいらしゃったので、本当にびっくりしてしまいました。
結局、技術は大切じゃないのかもしれません。
いろんな意見があるでしょうが、私は「技術より気持ち」だと思います。

「自分以外の何者かになろうとしていない人」に憧れます。
そういう方の言葉や行動は「すべてが真」だと思うからです。
そういう方は、身体の中に「ネガティブなもの」が少ないのだと思います。
だから「自然」に、「自分の中心」に居ることができるのだと思います。

そういう人が大好きだな、私もそういう人になりたいな。と思いました。

この会社の方々は私にいろんなことを教えてくださいます。
今回演出をされた社員の方は、毎日の業務においても皆さんを引っ張る立場の方で、もちろん本物の演出家ではありませんでした。
でも、あらゆる場面での指示が的確なので、それにもとても感動しました。
この方は「部下を想う気持ち」で演出をされているんだと思います。

「演出家の究極の仕事」は、「人を愛すること」なのかもしれない、とふと思いました。
だったら「作家の究極の仕事」は、「自分を愛すること」なのかもしれません。

自分と人とを愛せる人になりたいな。
「真」の表現ができるようになりたいな。

「山本さんは、去年よりタフになりましたね」
と言われたのも嬉しくて、
魂の妹、はるさんと語りあえたのも嬉しくて嬉しくて!
(また語ろうね!はるさん!)
すべてが大満足な一日でした☆彡

お世話になった皆様、本当にありがとうございました。
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by dumbo-kakeru | 2008-12-04 23:59 | 舞台