立ち止まり、考える贅沢。
2008年 11月 28日
RPOゆっきーが出演している舞台、旧劇団スカイフィッシュという団体のお芝居、「適切な距離」を見てきました。
最近、たて続けにいろんな舞台を見て、どれも面白いなあと思っていたのですが、
私にとって「衝撃的だった」作品は、これが一番でした。
この作品だけは、今までに見たことのない演劇というか、ほかではあまり見られないものだったからです。
この団体というかユニットは、作と演出が違う男性の方なのですが、
座付き作家の方は「小説」という形で物語を書かれます。
それを普通は「脚本」の形にして上演しそうなものですが、この団体では、あえて「小説」という形を崩さず、舞台化するのです。
だから、少し変わった作品になります。
小説の朗読劇に近いのかもしれません。
繊細な心理描写もすべて「言葉で語る」形になるからです。
そのうえ、この作品は、役者が「その作品の登場人物」であると同時に、「その作品に出演する役者」の役も演じているという設定です。
つまり2重に演じているわけです。
そして、役者の「役」の人は、その物語を外から眺め、
その物語の感想を言ったり、批判をしたりする…
非常に複雑で、こだわった構造になっていました。
また、セットも全くなく、BGMやSEも使わないことにも驚きました。
でもそれがかえって効果的でした。
繊細な心の動きが、リアルに感じられました。
説明するのは難しいですが、とにかく面白かったです。
ほかのお客さまもそう思っていたようです。
この団体が今年この作品を上演するのは三度目だそうですが、見るのが三回目だというお客さまもいらっしゃいました。
今まで「再演はお客さまに見ていただきにくい」と思っていましたが、一回一回きちんと試行錯誤して、ほかにはないものを生み出していれば、何回でも見ていただけるんだな、と思いました。
この作品を見せていただいてことで、私には何かが見えた気がしました。
目の前が少し、開かれたような気がしました。
物語創りにおいても、作品創りにおいても、立ち止まり、きちんと考えることは必要だと信じられたからです。
その中ではじめて、「自分たちにしか出来ないこと」がおぼろげながら見えてくるのだと思います。
要領よくやったり、次々にいっぱい結果を出すことも大事なのですが、
「立ち止まり考える時間」が贅沢に与えられている時は、
きちんと悩んだ方がいいと思います。
ありがたいことに、今の私にはそういう時間が与えられています。
だから「書きたい」けど、「無理に書きたくない」と思っています。
今までやってきたことを一度白紙にして、また新しいやり方を試したいのです。
脚本的な物語の書き方ではなく
小説的に書けないだろうか?と思っています。
私の理解が正しいかわかりませんが、
脚本は「全体から逆算して細部を決める」ことが多いと思います。
でも、小説は「細部が全体を決める」ような気がしています。
だから作者自身にも、この物語がどこに行くのかわからないことも多いと思います。
今までやったことはないのですが、そのやり方が、今の私には、非常に魅力的に感じられます。
そのやり方がもし私に合っていたら、
私の脚本のあり方も、私が目指す舞台の創り方も変わってくるかもしれません。
もしかしたら、「旧劇団スカイフィッシュ」さんと似た部分を持ちたくなるかもしれません。
まだはっきりとは見えませんが、いずれ何かが見えてくるという希望は持ちたいと思います。
しばらくは、できるだけ悩み、考え、内にこもる贅沢を味わおうと思います。
それが苦しく感じられても、その場所から逃げないでいたいな、と思います。
最近、たて続けにいろんな舞台を見て、どれも面白いなあと思っていたのですが、
私にとって「衝撃的だった」作品は、これが一番でした。
この作品だけは、今までに見たことのない演劇というか、ほかではあまり見られないものだったからです。
この団体というかユニットは、作と演出が違う男性の方なのですが、
座付き作家の方は「小説」という形で物語を書かれます。
それを普通は「脚本」の形にして上演しそうなものですが、この団体では、あえて「小説」という形を崩さず、舞台化するのです。
だから、少し変わった作品になります。
小説の朗読劇に近いのかもしれません。
繊細な心理描写もすべて「言葉で語る」形になるからです。
そのうえ、この作品は、役者が「その作品の登場人物」であると同時に、「その作品に出演する役者」の役も演じているという設定です。
つまり2重に演じているわけです。
そして、役者の「役」の人は、その物語を外から眺め、
その物語の感想を言ったり、批判をしたりする…
非常に複雑で、こだわった構造になっていました。
また、セットも全くなく、BGMやSEも使わないことにも驚きました。
でもそれがかえって効果的でした。
繊細な心の動きが、リアルに感じられました。
説明するのは難しいですが、とにかく面白かったです。
ほかのお客さまもそう思っていたようです。
この団体が今年この作品を上演するのは三度目だそうですが、見るのが三回目だというお客さまもいらっしゃいました。
今まで「再演はお客さまに見ていただきにくい」と思っていましたが、一回一回きちんと試行錯誤して、ほかにはないものを生み出していれば、何回でも見ていただけるんだな、と思いました。
この作品を見せていただいてことで、私には何かが見えた気がしました。
目の前が少し、開かれたような気がしました。
物語創りにおいても、作品創りにおいても、立ち止まり、きちんと考えることは必要だと信じられたからです。
その中ではじめて、「自分たちにしか出来ないこと」がおぼろげながら見えてくるのだと思います。
要領よくやったり、次々にいっぱい結果を出すことも大事なのですが、
「立ち止まり考える時間」が贅沢に与えられている時は、
きちんと悩んだ方がいいと思います。
ありがたいことに、今の私にはそういう時間が与えられています。
だから「書きたい」けど、「無理に書きたくない」と思っています。
今までやってきたことを一度白紙にして、また新しいやり方を試したいのです。
脚本的な物語の書き方ではなく
小説的に書けないだろうか?と思っています。
私の理解が正しいかわかりませんが、
脚本は「全体から逆算して細部を決める」ことが多いと思います。
でも、小説は「細部が全体を決める」ような気がしています。
だから作者自身にも、この物語がどこに行くのかわからないことも多いと思います。
今までやったことはないのですが、そのやり方が、今の私には、非常に魅力的に感じられます。
そのやり方がもし私に合っていたら、
私の脚本のあり方も、私が目指す舞台の創り方も変わってくるかもしれません。
もしかしたら、「旧劇団スカイフィッシュ」さんと似た部分を持ちたくなるかもしれません。
まだはっきりとは見えませんが、いずれ何かが見えてくるという希望は持ちたいと思います。
しばらくは、できるだけ悩み、考え、内にこもる贅沢を味わおうと思います。
それが苦しく感じられても、その場所から逃げないでいたいな、と思います。
by dumbo-kakeru
| 2008-11-28 10:37
| 舞台