笑えるラブレターはなぜ笑えない?
2008年 11月 26日
突然ですが、「笑い」が好きです。
笑うのも、人を笑わせる力のある人も大好きです。
世界で一番難しいのはコメディを書くことだと思うので、「コメディ作家」には絶対なれないと思います。
だけど、どんな作品にも「ユーモア」は必要だなあ、と痛感しています。
そんなこんなで、このブログにも「笑えるラブレター」とつけたのですが、
このブログの文章、あんまり笑えないよなあ~とふと反省しました。
なぜなんだろう?
昨日の日記でも書いてるように、最近の私は嘘は書きたくないと強く思っています。
「自分自身」をしっかり把握したいために、気功など、自分の身体との関係を結びなおす作業をしています。
そのことにより、「主観的な視点」というものが自分の中で大きくなりすぎているのかもしれないな、と思いました。
自分のことがしっかりわかっているのは大切だと思うんです。
でもそれと同時に「客観的な視点」も持っていないといけないと思いはじめました。
ユーモアってのは「視点のズレ」から生まれるみたいですから…。
自分がどう感じているか、ということを冷静に観察する。
でも落ち込んでいる時は「わ~落ち込んでやがるコイツ(^^♪」と、自分を笑える冷静さを持つ。
数日前のブログで、「私は天国に住んでいた」と書きましたが、
物書きは、天国にどっぷりと住んでいてはいけないのかもしれません。
天国に住みつつ、それと同時に天国から出ていかなければいけないのでしょう。
自分をしっかり持ちつつも他人を受け入れる。
自分の幸せと他人の幸せを両方実現させる。
う~ん…なんか難しい…
難しいことであるからこそ、挑戦する価値がありますよね(^_^;)
とりあえずこれからは、私の中に「ルンルンダンボ」と
「ニヒルダンボ」を住まわせて、
その二人の話し合い、またはケンカ、殴り合いによって、
作品を創るという作業をやってみようと思いました。
最近は「ルンルンダンボ」が優勢だったので
「ニヒルダンボ」よ、もうちょっと頑張ってくれ!
笑うのも、人を笑わせる力のある人も大好きです。
世界で一番難しいのはコメディを書くことだと思うので、「コメディ作家」には絶対なれないと思います。
だけど、どんな作品にも「ユーモア」は必要だなあ、と痛感しています。
そんなこんなで、このブログにも「笑えるラブレター」とつけたのですが、
このブログの文章、あんまり笑えないよなあ~とふと反省しました。
なぜなんだろう?
昨日の日記でも書いてるように、最近の私は嘘は書きたくないと強く思っています。
「自分自身」をしっかり把握したいために、気功など、自分の身体との関係を結びなおす作業をしています。
そのことにより、「主観的な視点」というものが自分の中で大きくなりすぎているのかもしれないな、と思いました。
自分のことがしっかりわかっているのは大切だと思うんです。
でもそれと同時に「客観的な視点」も持っていないといけないと思いはじめました。
ユーモアってのは「視点のズレ」から生まれるみたいですから…。
自分がどう感じているか、ということを冷静に観察する。
でも落ち込んでいる時は「わ~落ち込んでやがるコイツ(^^♪」と、自分を笑える冷静さを持つ。
数日前のブログで、「私は天国に住んでいた」と書きましたが、
物書きは、天国にどっぷりと住んでいてはいけないのかもしれません。
天国に住みつつ、それと同時に天国から出ていかなければいけないのでしょう。
自分をしっかり持ちつつも他人を受け入れる。
自分の幸せと他人の幸せを両方実現させる。
う~ん…なんか難しい…
難しいことであるからこそ、挑戦する価値がありますよね(^_^;)
とりあえずこれからは、私の中に「ルンルンダンボ」と
「ニヒルダンボ」を住まわせて、
その二人の話し合い、またはケンカ、殴り合いによって、
作品を創るという作業をやってみようと思いました。
最近は「ルンルンダンボ」が優勢だったので
「ニヒルダンボ」よ、もうちょっと頑張ってくれ!
by dumbo-kakeru
| 2008-11-26 14:54
| つれづれ